安心から・・・
新しくメールアドレスをゲットーー!!しかも、その後パソコンに復旧の兆しがーーー(^0^)/と、思いきや・・・やっぱりダメ。
さぁー気分を変えて更新だーーー!
『安心感』がキーワードと書きました。
覚えていない方は、時間があればもう一度読んで見てください。
デンマークの教育では、この『安心感』が重要とされています。
まず、この『安心感』が何を意味するのか?みなさんは小さい時に、自分の親と話をしていて緊張していましたか?もちろん特別なケースは除きますよ。『安心感』とは受け入れてくれているという実感だと思います。だから
「玩具買ってーーーー!」とか、
「もう眠い・・・」「あれ食べたい!」「やだー」などなど、好きなことを言えるのです。
そりゃー「私は長女でわがままなんか言ったことがない!」という方もいらっしゃるとは思いますが、本当に小さい時ですよ。大人になれば社会のルールや協調性を重視し、色々なことを考えて話しますよね。それとの対比です。
さて、デンマークでは小学校1年から9年生まで同じ先生、同じクラスというのは以前にも掲載しました。そこでは教師は親のように、いや親以上に子供と同じ目線で付き合います。教師は命令などしないと思います。いや、しないでしょう。だって実際に授業見学して感じたのが、教師の言葉の重みと生徒の言葉の重みは同等に感じれました。
さて、そのように子供に『安心感』を与え、それが成長過程でどのように変化していくかというと・・・
『安心感』から『平等』が生まれる
のだそうです。
これは、自分もここデンマークで日々実感しています!
例えば、ここでの朝のミーティング時に教師がその日の報告などをしている最中でも、生徒が手をあげて
「自分の場合はどうなるの?」
「そういえば、○○さんはいないけど」
など、みんな好き勝手に発言します。もし日本だったら
「今は、先生が話しているのです。あとで言ってね」と、なりますよね。
ん・・・なんで先生の優先順位が高いの?先生って偉いの?年齢が上って偉いの?みんな平等じゃない?
しかも、一人の教師が話している間、他の教師は生徒が座っている同じ場所・同じ椅子に座っており、何か発言及び報告がある時でも同じように手を上げてから話します。生徒と一緒なんです。生徒が発言している時は、ひたすら手を上げて待っています。
まぁーここは生徒と言ってもみんな大人だし・・・でも、20歳の日本人学生もいれば、18歳のビルマ人学生もいるし、50歳の知的のデンマーク人学生もいます。
結局は、みんな平等なのです。
デンマークで、よく言われるのが職業によるいわゆる「階級的感覚」はデンマークには存在しない!と。どういう事かというと、医者だから、教師だから、議員だから等で自分が偉いと思っている人もいないし、周りも変にヘコヘコしたりする人は誰もいないそうです。
また、自分はここBogense(ボーゲンセ)のサッカーのクラブチームに行っています。自分が練習しているチームのメンバーは17歳ぐらいから25歳くらいまでです。
先日、練習後なにやらコーチが深刻な話しを始めました。デンマーク語が分からない自分でも表情や口調で、その話しが大切な話しだと言うことは理解できました。
驚きなのは、メンバーの聞く態度です。コーチは直立し真面目に話しています。しかし若いメンバー達は立っている者もいれば、座っている者もいる。かと思えば座って足を伸ばし上体を後ろに反らしながら聞いている者もいる。
日本の部活動で監督や先生が話すとき、みんなどうしてましたか?
こんな態度とったら、間違いなく怒鳴られていますよね。
ところがコーチは気にも留めることなく話を続けます。しかも、メンバーはそんな態度で聞いているにもかかわらず、どんどんコーチに対して発言しています。
なかなか白熱した内容になっていました。コーチも力強く発言していましたが、それはメンバーに怒っているのではなく、内容が重要というだけのこと。もちろん、コーチが力強く発言してもメンバーは臆するところは全くありません。ちなみにコーチは40歳ぐらいかな?メンバーの親ぐらいの歳ですよ。
これが『安心感』から生まれる『平等』だと思います。
ここデンマークの子供達は親や教師から本当の意味での『安心感』を受けて育っています。だから大きくなって大人と接するときでも「自分を受け入れてくれている」という『安心感』から『平等』に『対等』に接します。それは社会全体で作り上げています。
さて、自分は福祉の現場で働いています。
神谷牧人は、この環境を作り出せているのか!?
・・・(+_+)
みなさんはどうですか?利用者の方が過剰に敬語を使ってませんか?利用者の方の言葉を、発言を一方的に遮っていませんか?
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コメント
安心感の対極にある現象の一種に「引きこもり」があるのだろうなあ・・・
投稿 kayokng | 2006年6月28日 (水) 06時29分
パソコンが壊れたんですね。この際、Mac bookを買って、今度見せて下さい。
ちょっと質問があります。見当違いだったらすいません。
「安心感・平等・対等」の根本にあるのは、キリスト教信仰と関係ありますか?神様に対する畏敬があるので、人と人は対等・平等であることができるのではないでしょうか。
日本では、無神論者が多いとは思いませんが、特定の信仰を持っている人は少ないように思います。そのような背景を持つ日本では、「対等・平等」が、良い方向に働くのではなく、既存の良い秩序が崩れる悪い方向に働くのではないでしょうか。
投稿 1000 | 2006年6月28日 (水) 19時39分
『安心感の対極にある現象の一種に「引きこもり」があるのだろうなあ・・・』
「引きこもり」の原因として、親の愛情不足や社会の連帯感の欠如がある・・・など言うつもりはありません。何か一つが原因ではないでしょうから。
でも、kayokngさんが言うように『対極』に位置するのかも知れませんね。
投稿 マキト | 2006年6月29日 (木) 02時58分
1000さん、こんにちは。
『「安心感・平等・対等」の根本にあるのは、キリスト教信仰と関係ありますか?』
との質問に関してですが、デンマークがなぜ福祉国家になりえたか!?という大きなテーマから考えると、答えは「NO」になります。
もちろん『自由・平等・博愛』という民主主義の精神はキリスト教から来ていると思われますが、それなら民主主義国家はすべて福祉国家になっても良いはずです。
デンマークが福祉国家へと進んでいく『きっかけ』の一つと言えるのが、1970年代の女性解放運動です。女性が社会に進出するようになり、子供や老人の世話を誰が見るのか!?これは国が子供や老人も個人として保障することが女性の社会進出にもつながる!という見地です。
その女性解放運動をきっかけに1973年には中絶も認められました。中絶は聖書では禁じられているのでは?
『神に対する畏敬』のもとの平等というよりは『個人として当たり前の権利の主張』のもとの平等だと・・・まぁ〜『根底』がどこまで指すのかにもよりますね。
ただ・・・
『日本では、「対等・平等」が、良い方向に働くのではなく、既存の良い秩序が崩れる悪い方向に働くのではないでしょうか。』
この意見に関しては自分も同感です。
日本は現在『個人』『個性』を主張する風潮にありますね。ただ、その『個』とはどこから生まれたのか?
どのような『社会』『文化』『環境』の中で育ったのか?『社会』との『連帯感』が希薄な現代人の『個』は何と比較しての『個』なのか?それは1000さんが指摘する秩序のない勝手気ままな『個』というものではないのでしょうか。
これは、小林よしのり著の『ゴーマニズム 戦争論』を読んで下さい。そこに、きっと答えがあると思います。読みましたか?
1000さん、makito_dk@hotmail.co.jpまでメール下さい。PC初期化したためアドレス全てなくなりました・・・。
投稿 マキト | 2006年6月29日 (木) 05時21分